“正しさの箱”から、“優しさの泉”へ。
正しいこと。
それは、もちろん大切なこと。
“正しい”かどうか?
判断して、選んでいくのは必要なこと。
けれど、
「正しさ」は、ときに自分を縛り、他人を縛り、
いつの間にか 世界を 狭く狭くしてしまう枠のようなもの。
わたしの“正しさ”は、誰にとっても“正しい”とは限らない。
当たり前だけれど、忘れがちなこと。
そして、
“正しさ”は、ときに 自分や他人をいじめてしまう。
そして、“正しさ”には、限界がある。
そこを、“優しさ”に 変換してみたら、どうかな。
たとえば、今まで
“正しさ”ゆえに、
「白砂糖は、からだに悪いから、やめましょう。」と、自分自身に言い聞かせていたのに、なかなか出来ないで食べてしまっていたことも。
“優しさ”ゆえに、
「わたしのからだが、白砂糖で冷えてしまったり、血液が汚れてしまったりして、とてもしんどいだろうから、もう少しいたわろう。」と、
同じことを選択しようとしているのに、
こうも違うのは なぜでしょう。(*^^*)
正しさは、葛藤を生みやすく、なぜか ぶつかりやすい。
優しさは、摩擦をやわらげ、包むように促していく。
わたしは、“正しさの箱”の中に居たとき、
とてもとても窮屈だった。
苦しかった。
だから、自分に課した目標も、なかなか続かなかったり、
自分以外の誰かへの視線も、厳しかったのでは、と思う。
正しさの箱の中で、
自分や物事、そして他人をジャッジすることをやめると、
どんどんどんどん、優しくなれます(*^^*)
別に、優しくしよう、とか
優しい人になろう、とか考えて行動しているわけではないけれど、
きっと、“正しさの箱”から外に出ることで、
無限に広がる優しさに触れることが出来たからなのでしょう。
“優しさの泉”は、やわらかい。
そんな 泉のように尽きない優しさで、
自分や世界を、見てみよう(*^_^*)
自分をそっと、包んでみよう。
それは、世界を“あい”で包むことと、おんなじ氣がするのです。
2コメント
2017.03.13 07:51
2017.03.03 02:46