ほんとうは、何がほしいのか?前回のブログにあったように…、娘は先日、わたしとの長らくの奮闘と話し合いなどにより、「ほしい!」と思ったものを買ってもらうことに成功したのです。さぞかし、そのプリキュ○の着せ替えブックで楽しく遊ぶのだろう、と思いきや…購入した当日とその次の日の、たったの2回しか遊んでいませんでした。遊ぶものといったら、ずいぶん前からある ぬいぐるみや空き箱などでの人形遊び、そして、いただいたトーマスの絵本。やっとのことで手に入れたプリキュ○の本には、以降、全然触れていません。。それなのに、昨日の朝のこと。朝起きて一番に落とした言葉は、、「ねぇ、あたらしいおもちゃ かいたい。」「はぁ?!(…怒!)こないだプリキュ○の本買ったとき、大変だったでしょう。簡単には買えなかったでしょ。おうちのいろんなものお掃除したりまだまだ綺麗にしないと、次はないと話したでしょう?」そんなことを言っても続きます。「かーいたーいーーーー!!」「だめだよ、ここちゃんのご飯を買うお金なくなっちゃうじゃん。いいの?」「イヤだーーー!!かーうーのーーーーー!!」プリキュ○のそれを得られたことで満足し、ゲットするということの快感を得たのか、なんなのか、、、新しいものが欲しくなるなんて。(しかも、目的の物はまだ定まっていない)………これって、どういうことなのだろう??と、冷静に考えてみたのです。この子が、ほんとうに欲しいものって、なんだったのだろうか?おそらく彼女にとって、物を得ることは、さほど重要ではなくて、だとすると、一体何なのだろう?と。・・・そうか。母親であるわたしと真剣に向き合いたいんだな。自分のことにだけに120%注がれているその行為。その時間。それがほしいんだな…と。だから、母親の隙きを見つけるとこれ(大泣きや大暴れ)は繰り広げられるのかもしれない。正面から120%向き合ってくれるという“過程と結果”が必ずついてくるから……それが、いいのか悪いのか、(そういうものでもない)満たされていないからそうやって満たそうとしているのかそもそも、たぶん娘の心の容量が大きすぎて(?)なかなかなかなか満たされないのですが、(きっとそれが寝る前に「もっとあそびたかったー!」と わめく原因かも。)満たされるって、ほんとに大切。………だけど、わたしはこの現状、どうしたらいいんでしょう。どなたか、おしえてください。(笑)今日も、お昼ごはんを食べに動こうとしたのに人や車の行き交う道路を行ったり来たりしながら「(自販機の)おちゃ、かってほしかったー!!!」と大泣き、大暴れ。道行く人々、びっくりしてました……。(苦笑)わたしは内心「またかよ…」ですが、偶然に出会った知人(齋藤先生)がおっしゃるには、「今どきなかなか見ない光景」だそうで、逆にびっくり…(笑)もちろん娘には、危ないからやめてほしい、と改めて振り返ってしっかりと話しましたが、でも。無意識に自らを成長させている彼らの人生を大きく捉えて子ども期を見守ったとき、特に幼少期は、人生で必要な基礎をとにかく最大限に試し、練習し、表現している。娘が、何を言おうと「これがほしい」と主張し続けた その行為とエネルギーは、大人になってから、いつか本当に大切なものが現れたとき、大切なことのために何があっても屈しない強さを養い、自分の意志を貫く力を養い、表現方法を学んでいるプロセスなのだと。3歳にしかできない、3歳のための3歳らしい時間の使い方を彼女はめいいっぱいにやっているのですね。きっと。だけど、母(わたし)は、そろそろ辛いです(笑)将来、どんなことがあっても大切なことや人のために屈しない強さは、娘には もう十分 身についているはず……と思うのは、わたしだけでしょうか。。。(^o^;もしかしたら、彼女の人生、一世一代の勝負ステージが待っているのかもしれません(笑)そのときに、このエネルギーと執着心(笑)、生かしてもらいましょう。2021.09.12 14:58
母の有言、娘が実行。このブログを何年かぶり?に開いたら、娘がまだ赤ちゃんだったときに睡眠不足ながらも綴った想いが書いてありました。読んでみると、意外と飽きなくて我ながら、その瞬間瞬間の氣付きってなんてストレートに胸に届くのだろう、と感心したものです(笑)しばらくブログを書けずにいて、なんとかSNSの投稿などをしながら昨年は、娘との日常&娘の成長を4コマ漫画に残していましたが、それも最近しばらくは、なかなか描けずに過ぎていきました。けれども、こうしてブログをあとから読んだとき3年前の自分の純粋な氣付きを振り返るなんてなかなか得られない尊いことだなぁ、と改めて感じました。そこで!どこまで続けられるかわかりませんが、またこのブログを書き記していきたいと思っています。前ページまでは、娘がまだ生後5ヶ月ほどでしたが、今はもう3歳10か月。11月になれば、4歳を迎えます。あのときのわたしの「連続して眠れない辛さ」は、もうほとんどありませんが、子育ては常に体力勝負。娘とのバトルが激しくなり(苦笑)、本屋さんなどのお店で大暴れ&大泣きする娘の対応にほとほと困ってしまう日々です。。。今日は、先日の娘との出来事の内訳を記してみます。本屋で、プリキュ○の着せ替えブックのようなものを手に取った娘。それを買いに来たわけでないのはわかっているはずだけれど、どうしてもこれがほしい!と懇願されたのです。何を引き換えに出しても、イヤだー!!と大泣き。大暴れ。体も大きくなり力も強い娘が暴れると、わたしはもうお手上げ。本屋でずっと泣かせておくわけにもいかないので、場所を変えようと抱っこするも、大暴れでさせてくれないので、夫に抱えてもらうけれども暴れてとても大変。なんとか駅のホームまで行ったけど泣き続け暴れ続け、電車になど乗るものかと激怒、大泣きが続く…かれこれ1時間40分にもなる対峙の末、やっとのことで、帰ったのです。す、すごい…苦笑買ってあげるのは簡単。(でも安くない…720円でした)だけど、すぐに買ってあげてしまっては、娘はどんどん味をしめるでしょう…買ってもらいたいものを見つけるたびに今回のように大泣き大暴れでアピールされたらたまったものではありません。娘には、「おうちの玩具がたくさんあるから、遊ばないものや捨てていいものを整理して、きれいに片付けたら買おうね」と、何度も何度も言って聞かせ、「片付けたら買おう」、「きれいになったら、買おう」と約束をして、なんとかなだめました。そして、涙のあとが頬から消えないうちに自宅について、片付けや整理整頓、そしてお掃除をすること2時間!!その間、娘は一分毎くらいに確認作業をはさみます。「きれいになったら、プリキュ○のやつ、かいにいく??」と。しかし、その日はすでに1時間40分もロスタイムをしているのです。それから片付けが終わっても本屋に戻る時間には閉店しています。「今度ね。」と言って、終わりになりました。そして、娘はなんと翌日も父親(夫)と一緒に整理したり掃除したりを頑張ったのだそうです。そして、その日の晩も聞いてきます。「プリキュ○のやつ、かいにいく??」と。ついに言ってしまいました。「明日ね。」と…その翌日、仕事帰りに本屋に彼女と一緒に行き、「これ!!」と娘が手に取ったのは、なんと、先日の720円のではなく、1480円?もする、ひと回り大きい本でした。。。予算と違うわ…(^_^;) と思ったのですが、娘も頑張ったのだから、と快く購入したのです。娘は、とても喜んでくれ、わたしも嬉しくなりました。今回、わたしは壮絶なるバトルに屈しなかった甲斐あって、娘にも学びの出来事となりました。しかし、振り返ったら、この惨劇は少し前の出来事から尾を引いていたのだとわかりました。あるとき娘は、「プリンセスのくつがほしい」と言いました。あまりに何度も言うので、靴屋さんに見に行ったけれど、一軒目には売られていなくて、日を改めて、別な靴屋さんを見に行ったときのこと。プリンセスの靴がありました!!目を輝かせて、手に取る娘。しかし、その靴は、ライトが付いていてピカピカと点滅する機能がある靴でした。「お母さん、これはちょっと買ってあげられないなぁ。。。」わたしが、思わずそう言うと、しばらく靴を眺めていた娘が、「ここちゃん、プリンセスのひかるくつ、キライだもん!!」と。少し衝撃でした。あぁ、そうか…。「これがいい」「こうしたい」「これがすき」を母(身近な存在)に認められなかったとき、自分の感情を無理矢理にでも閉じ込めてしまおうとしてしまうことがあるんだな…と。その日、最終的に買ったのはコキンちゃんの水色の靴。娘も好きな靴でしたが、プリンセスではありませんでした。翌朝、その靴を喜んで履いて保育園に向かったのですが、、わたしが漕ぐ自転車の後部座席で、ボソリと一言。「ここちゃん、ほんとうは、プリンセスのひかるくつがよかったな。。。」そうだったよね。やっぱり、娘がほんとうにほしいものに、大人の都合で口出ししてしまって、申し訳なかったな。。。「ごめんね。次からは、お母さんの意見を聞いても、自分がほんとうに欲しいと思うものは、最後まで『欲しい』って言っていいからね。」と詫びたのです。まさか、、、その言葉が(?)本屋で始まる1時間40分の大泣きの悲劇を生むなんて……。娘は、そのままを実行してみせたままです。わたしは、たしかに言いました。“自分のほんとうに欲しいものは、最後まで曲げずに伝えなさい”ーーーと。 ༼⁰o⁰;༽実行力、すばらしいです。(笑)・・・・・・正直、こわいです。(笑)2021.09.11 15:24
この子の母にしてもらえたことまだ娘が生後2ヶ月くらいまでのころは、娘が泣くたびに 不安になったり、焦ったり、悲しくなったり、イライラしたりしていたけれど、生後5ヶ月を迎えた今は、凄まじく泣き叫ぶ声にさえも笑えるほどの余裕が出てきました♡ギャンギャン泣いてるその顔すらも可愛くて仕方ないと想えます。あぁ きっときっと 世界で一番あなたを見ていてきっと 世界で一番あなたを抱きしめているそして きっと世界で一番あなたを何度も何度も、可愛いとおもっている、、わたしの腕の中から溢れ余るほどの存在感で泣き見ず知らずの人に、花を添えるように笑いかけ小さいはずのあなたが する仕事は大きい。わたしは あなたの母になりました、小さな小さなあなたの大きいようで 小さな小さな母ですが、世界で一番誰よりも あなたの肌を触れ続けていますわたしは あなたの お母さん。お母さんにしてくれて、ほんとうにありがとう。赤ちゃんのほほえみは綿毛のよう。わたしは、綿毛をポケットに入れたい氣持ちを ぐっとこらえてそっとそっと飛ばすんだ優しく強く飛ばすんだ誰かの背中を押すように。ほら、大空に飛んでいけ! ってゆっくりゆっくり、時間をかけて。2018.04.08 13:33
赤ちゃんの得意技最近、赤ちゃんのパワーの素晴らしさに日々感動していることがあります。いくつもあるのですが、その中から今日は一つ書いてみます!赤ちゃんの得意技。彼らはなんといっても、 自然に垣根を取り払う天才!!わたしは、現在生後4か月と10日ほどの娘と一緒に外出すると必ずと言っていいほど、見ず知らずの人々に声をかけられます。きっと、わたしだけじゃなく、赤ちゃん連れの方は、よくあることなのではないでしょうか(*^_^*)たくさんの人から声をかけていただけますが、一番多いのは おばちゃんたち!自分が子育てしていた時期を思い出すようで、ニコニコして色んな話を聞かせてくれます。おばちゃんたちだけではありません。現在子育て中のお母さんからも声をかけられます。エレベーターの中や電車、バスなどの乗り物の中など、氣軽に声をかけてくださるのが、とても嬉しいです♡男性も、例外ではありません。ついさっきも、電車で席を譲ってくれたおじさんは、娘をあやしてくださいました♪若い男性も、年配の方も、荷物を持ってくださったり、ベビーカーを支えてくださったり、自然に手を貸してくださいます。なんて、ありがたくて、しあわせなことでしょう。昨日は、窓ガラス越しにおばちゃんが声をかけてくれました。(笑)ガラスなんて、ないもののように(笑)赤ちゃんって、凄い。その存在ひとつだけで、わたしたちひとりひとりにまとわれた垣根を、ひょいっと飛び越えて、いや、そんな垣根なんて、もとからなかったものだよ、というように、自然に わたしと周りとを繋いでいく。。名前も知らない彼らの、日常の話や悩みなんかまで聞いちゃったりして(笑)、あぁ、これこそが赤ちゃんのちからなんだな、と。自然に手を貸したくなる。笑いかけたくなる。話しかけたくなる。優しく、したくなる。人は、ひとの原けいを見たときひとは、ありのままに戻ろうとするのかもしれない。ありのまま、って何かというと、わたしもあなたも、優しく優しく、心地よく、“繋がっている” ということ。頭ではわからなくっても、関わってくださる皆様の行動が、そう言っているようで、ひとは、もとから優しい存在だよ、と。赤ちゃんは、その姿で、周りを自然に変えて、もとの姿に戻している。そうだ。誰もが そんな無限の優しさを羽織った赤ちゃんだったことがある。2018.03.18 01:23
赤ちゃんは “ピュア・リーダー”まだ0歳の娘(現在生後三ヶ月半)ですが、わたしは娘におしえてもらうことがとても多く、すべてを書き記すことができないくらい。そのなかでもいつもいつも赤ちゃんたちがしていることは、 これだ!! と氣がついたことがあります。「お母さんの心のお掃除」赤ちゃんは、たぶんきっと100パーセントの確率で、お母さん(そばにいる大人)の心のお掃除をしています。わたしと娘の場合、わたしの心に曇りがあって、、、それが“もう この感情は要らないよ”“いつまでも持っていると、からだに毒だよ”というような古い怒りや執着の氣持ちだったりすると、なぜだか わからないけどびっくりするくらい大泣きします。ギャン泣きもいいところ。。。(笑)そのときのわたしが、別にイライラしたりしてるわけでもないのに、ものすごく泣くんです。。それは、わたしが そのことに氣がついて、“古い感情を手放す” と、決意するまで続きます。でも、決意した瞬間に泣きやむのです。不思議なものです。わたしは、決意したら娘に語りかけています。「お母さんにおしえてくれたんだね、いつまでも許さないでいる心は、居心地が悪いよ、苦しいよ、って。おしえてくれて、ありがとう。」と。。。ほんとうに赤ちゃんのすることは徹底しています。わたしにとって、その感情は、もちろん過ぎたことだし、縛られていたつもりもなかったけれど、やっぱり たまに思い出しては、嫌だなぁ、、、なんて思っていたことでした。娘は、わたしの心にある、一点の曇りさえも見透かします。そして、小さなからだと大きな存在感を最大限に使っておしえてくれようとします。それはきっと、この子が特別だから、ではありません。赤ちゃんは、みんなそうやって、母親にサインを送っているのだと思います。きっと、そのことを知らないお母さんはたくさんいらっしゃると思うけれど、それでも必死に伝え、赤ちゃんなりに浄化してくれているのだと感じます。赤ちゃんの浄化力心のお掃除をする力これは、ほんとうにすごいです。わたしは、母親になって三ヶ月半。娘のお蔭で、心がどんどん透明になっていくような氣がします。まさに赤ちゃんは、ピュア・リーダー!! 純粋で生きよう♡ 純粋そのもので生きよう!!って、毎日わたしの胸を引っ張るのです。(物理的にも、おっぱいを引っ張られる。笑)娘が成人する頃には、わたし、、透明人間になりそうな勢いです(笑)赤ちゃんって、なにも知らない、無力で無知な存在なんかでは、決してない。無力なように見せかけて強い大きなエネルギーを動かしているし、そんなことしてないように見せて、毎日せっせと周りの大人の心のお掃除をしていたりする。そして、何よりこうやって笑っては、周りを癒やして元氣にしてくれる。わたしは、赤ちゃんに尽くしているようで実は、赤ちゃんに尽くしてもらっている。そのピュアなエネルギーは、何よりも強く大きい。 赤ちゃんを、抱っこしているようで 実は、抱っこされてるのは わたしのほうだったね。2018.02.23 10:32
がんばっているわたしへ。あなたへ。不平不満が溢れるとき感謝が足りないんだ、なんて言うけれど、、きっと それって、自分自身が、自分を認められていなかっただけなのかもしれないね。わたしが、“こんなにがんばってるのに!!”(誰も認めてくれない!!)って、勘違いしてるのね。。“わたしは、こんなにがんばってる!!”ってことを、わたし自身が認めてあげて、“こんなにがんばっている!!”自分自身にわたしこそが、わたしに「ありがとう」を言えたらいいんだ。「誰からも“ありがとう”って言ってもらえない」と悲しくなってしまうときにはわたしが、わたし自身に、「ありがとう」って言えていたかな?心を込めて伝えられていたかな?って振り返ってみるといいのかな。“不平不満”って、自分の心をよーく見ずに、周りばかりを見てしまって、足りなく感じてしまうことをいうのかも。わたしが、わたし自身を心から受けとめて自分にも「ありがとう」って言えたら、きっと自然に、周りにも「ありがとう」が言えるようになる♡ほんとうは誰もが、こんなに満たされていた、って氣付くのよ。素晴らしい奇跡の連続を生きているって、生かされているって。あー、、わたし、これほどにがんばっていたんだね。ありがとう。わたし。こんなにがんばってくれて。いつも、いつも、夜も、昼も、休みなく働いてくれて、ありがとう。心も、からだも、尽くして、がんばってくれて、ありがとう。そして、こんなにがんばれるのは、“あなた”のおかげだったね♡ありがとう(*^^*)2018.02.04 06:23
これ、なんだ??うちの赤ちゃん先生(現在生後2か月と3週間ほど)が、4日ほど前の朝より、自分の “こぶし” を見つめ始めました。さも不思議そうに。。 んーーーー??? これ、なんだ???? ??? んーーーー????って、心の声が聞こえてきそうなくらい、じっと、じーっっと見つめています。大好きなお風呂の中でも、夜中 目を醒ましたときにでさえも、こぶしを顔の前に出しては、じっと見つめています。赤ちゃんは、生まれながらにして、研究熱心。それはそれは、愛らしいです。(笑)わたしたち大人は、あたりまえのように自分の手を認識し、自在に操っていますが、赤ちゃんにとっては、不思議でたまらないことのようで手の存在と、その自分の感覚が、やっと繋がり始めた時期なのだそうです。これを、“ハンドリガード”というのだそう。個人差はありますが、だいたい生後 3〜4ヶ月頃にあらわれる行為のようです。とにかく、その様子を見るのが、好きで、たまらないのですが、、、これも、期間限定。目に焼き付けておきましょう。(笑)2018.01.31 12:42
赤ちゃんのココロ赤ちゃんのココロってふわふわの綿毛みたい。だって 赤ちゃんに触れるとこちらまで やわらかくなれるから。赤ちゃんのココロって透明みたい。夜のガラス窓みたい。だって、こちらのココロを丸ごとそのまんま映し出してしまうから。泣いて泣いて、大泣きしている赤ちゃんをあやすとき「ねんねしていいよ〜」と言いながら、心の内側では、「あ〜ぁ、早く泣き止まないかな、、」って思っていたら、泣き止むどころか、荒れまくる一方。赤ちゃんのココロには、わたしたちのココロには、優しい言葉より何より、穏やかな心が欲しかったんだね。心からの平穏や 安心を 胸にしっかりと抱いて、そうして、赤ちゃんを抱っこすればいいんだね、ごめんね、こころちゃん。まだまだ未熟な お父さんとお母さんなのでした。“純粋”を、ひたすら抱っこしています。心のいろんなモノを映し出されて、そうして氣がつくと、わたしの心が だんだん透明になっていく。透明は、それ自体が目に見えないものではなく、それ以外がしっかりと、目に見えるからこそ、透明。心の純粋さは、なんて尊いのでしょう。わたしも、曇らずにいたい。まっすぐに。ふんわりと。 こころちゃん。あなたは、心の先生です。2018.01.29 13:40
美しさ“美しさ”。この言葉の奥には必ず、心の豊かさが ある。“美しい” というのは、芯のある、凛とした、 それなのに とてもやわらかい。穏やかで、優しくて、一瞬のようであって、刹那的なものではない。それは、目には見えないけれど、長く永く、向こう側まで、続いているもの。2017.12.23 09:58
おてんとさま と おひさま幼い頃から、つい最近まで、「おてんとさま」と「おひさま」と「たいよう」は、呼び名が違うだけだと思っていたのです。お天道様お日様太陽どれも、同じものをさすと思っていたのです。でも、そうではないと、知りました。あなたは、ご存知でしたか?「おてんとさま」。そして、「おひさま」&「たいよう」大きく分けたら、2つ。おてんとさまって、=おひさまのこと では、ないのでした。では、おてんとさま(お天道様)とは、なんぞや?と。それは、日常のなかで太陽が朝やってきて、夕陽に変わって沈むこと であり、 大地を濡らす雨水のこと でもあり、春に花が咲き乱れることでもあり、冬に木枯らしが吹くことでもあり、 畑に霜が降りることでもあり、雪が積もる、ということでもあり、この風が、やさしい、、、ということでもある。そう。おてんとさまは、この世界の自然を動かす “大いなる力” のこと。天の道、と書くのは、天体の軌道、宇宙のことをさすのかな。。昔のひとたちは、陽が昇っては、お天道様に感謝をし、雨が降っては、お天道様に感謝をし、食事をするときも、心をこめて「いただきます」や「ごちそうさま」を、忘れなかった。それは、全てがお天道様(大いなる自然のちから)の惠みのお蔭様だと、からだが、心が、知っていたから。たくさんのいのちのおかげで、自然の仕組みのなかでわたしたちが生かされていることを日常のなかで、何度も何度も感じていたから。わたしたちは、皆ひとり。決して誰とも一緒ではない。 だけど、わたしたちには、皆ひとりひとり、大いなる自然に包まれて、脈々と受け継がれた命の神秘が宿り、たくさんのひとに支えられ、ご先祖様の生きてきた証が込められている‥こんなに こんなに、こんなにも。奇跡の溢れた いのち。なぜか その命さえ、小さく軽く思えてしまうことがあったとしたら、自分の心を やすませて、夕陽を見たり、流れる雲を見たり、してみよう。きっときっと、お天道様が微笑んで、優しくあなたを包むでしょう。もしかしたら、お天道様が 泣いているあなたの頬をそっとそっと拭ってくれるかも、しれません。やさしい やさしい そよ風になって。 ね。(*^-^*)2017.12.19 02:10
出産を振り返っておかげさまで、2017年11月8日に、わたしもとうとう母になりました。というより、母として始まりました。我が子は、生まれながらにして親孝行でこの日しか夫が立ち会えない!というタイミングでしかも前から望んでいたその日の昼間に生まれてきてくれました。さらには、初産なのに6〜7時間のスピード安産でしたが、出産には、個人差があり、わたしはどうなるんだろう?と恐れがありました。陣痛が始まったのは朝。それから陣痛と陣痛の間隔が狭くなっていくほどに痛みが増していくのですが、わりと朝しばらくは耐えられていました。その日の朝は、陣痛があるのにも関わらず「出産したらシャワーすぐ浴びれないかも!」と、陣痛の合間にシャワーを浴びたり(笑)、「産院のお食事も美味しいかもしれないけど、うちの味噌汁食べておきたい!!」と、味噌汁を作り始めたり(笑)、包丁片手に、襲ってくる陣痛に「ウッ」となりながらも作り、食べました。これで、出産の準備は出来たわけです(笑)※味噌汁は わたしのパワーフード♪産院に着いて、どんどん増してくる陣痛と間隔の短さに耐えながら、(動くとお産が進む、ということで)階段の昇り降りをしました。その間もずっと夫がそばにいてくれましたが、いよいよ陣痛のマックス(子宮口が開ききるまでのタイミング)がものすっっごく痛かったような氣がします。※もうすでに忘れかけている、、、(笑)『痛い』というより、“辛い”、“しんどい”という言葉のほうが合っていたような。。。ツラすぎて吐き氣も、、、。そんなとき、夫がそばで手を握ってくれて、それはありがたかったのですが、痛みの合間に「男の人はイイなぁ、、」なんて些細な羨ましさが頭をよぎったりしました。(笑)でも、ありがたいことに、わりとどんどんお産が進んでいったため、振り返ると一瞬のようでした。分娩台にのり、赤ちゃんが、もう産まれる!!あとは、赤ちゃんと呼吸を合わせて力むだけ!というそのときはもう無我夢中でしたので、痛いという感覚はなくて、とにかく出る力をとにかく出し切ったという感じ。。赤ちゃんは頭の大きい子で、わたしの出口がそのわりに広がらなかったので、会陰を切開し、最終的には吸引分娩になりましたが、助産師さんには“早くて夕方に産まれると思っていたのに、あっという間の昼間に産まれちゃったね!新幹線並みの安産だったね!”と言われました(^o^;そして、体重が 3,330グラム。というゾロ目(笑)ついでに、胸囲も 33.0センチ。(笑)おかげさまで元氣いっぱいの赤ちゃんです。2017.12.08 09:30
こころ“きにしない、きにしない、、、”って思っていても、“だいじょうぶ、だいじょうぶ、、、”って暗示かけても、何度も思い出して、きにしちゃうことだって、大丈夫!!と心の底から思えないことだって、いっぱいあるんです。凹むことだって、あるんです。取り越し苦労だとわかっていても、、心配しちゃうことだって、ある。わたしは自分があまりにも何もできていないんじゃないか、って不安になったりごめんなさい、って思ったり、しちゃう。 そんなとき、早くほんとうの自分で生き生きしたい。落ち込んでいたくない。って考えたりしちゃう。でも。待って。ほんとうの自分って何?“もっと出来るはず”だと焦って、ここに落ち込んでいる自分は、ほんとうの自分では、ないの???クヨクヨしてる自分は、ウソの自分なの?? いや、違う!!!! 残念だけど、(笑)はっきり言うけど、(笑)これこそ、ほんとうの自分!!!!『置いてかないであげて!! 泣いてる自分も、 “ほんとうのわたし”として、 大事に 丁寧に、手を繋いであげて!!』って、こころの声。寂しい自分も、悲しい自分も、虚しい自分も、面倒くさがりも、、、クヨクヨ泣き虫も、、、それこそ、ほんとうのわたし。もちろん、嬉しくて、樂しくて、優しい氣持ちでいるときの、、そんなわたしも、ほんとうのわたしだけれど、落ち込んだわたしを置き去りにするのをやめて、優しく声をかけよう。できなくてもあたりまえ。比べてしまう心が、自分を追いつめるなら、比べるのをやめてみよう。そのかわり、目の前のひとの素敵なところを、ひとつひとつ、拾って喜ぼう♡表面を氣にしてうまくできるかな、、?うまくできたかな、、?そんなことを考えてしまうときは、不安に、心配になりながらも、進もうとしている自分を褒めてあげよう。ひとは誰でも、成功するから素晴らしいのではなく、一歩踏み出す勇氣があるから、素晴らしい。うつむいていても、いつか光に目覺めることができるから、素晴らしい。優しさに触れると、自分まで優しくなれるから、素晴らしい。それは、わたしたちのなかにいつでも心が、ある証拠。豊かな心が、ある証拠。美しいものを、感じていこう♪2017.11.06 00:11